こんにちは、Genius Rushの笹原です。
皆さんの周りに「この人すごいな~。天才だな~。」と思えるはいますか?
周りの人でなくても、偉人とか、スポーツ選手とかでも結構です。
きっと、1人くらいはいるのではないでしょうか。
では、「天才」って何でしょう。
その人たちは「いつ」「どのように」して「天才」になったのでしょう。
ということで、天才発掘コーチを名乗りながら、これまであまり天才の話をしていなかったので、今回は天才について書いていきます。
エジソンから学ぶ天才の作り方
1 発明王エジソン
天才に関する名言と言えば、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という、エジソンの言葉を真っ先に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
説明不要かと思いますが、電球や蓄音機をはじめとして、多くの発明をした発明王です。
彼も天才の1人であることに、異論はないでしょう。
そんな彼は、いつからどのように天才になったのでしょうか。
エジソンに関するエピソードから探っていきます。
2 エジソンの幼少期
エジソンは小さいころから非常に好奇心が強く、いつも色んな事に対して「なぜそうなるの?」「どうしてなの?」と先生や周囲の大人に聞いて回っていたそうです。
「なぜ1+1=2なの?」と小学校の先生に質問して、先生を困らせたというエピソードは、皆さんも聞いたことがあるかもしれません。
そんなエジソン少年が、ある日、学校の先生から「お母さんに渡してほしい」と1通の手紙を預かります。
エジソン少年から手紙を受け取ったお母さんは、その手紙を読んだとたんに涙を流します。
「ママはどうしてそんなに泣いてるの?」エジソン少年は尋ねます。
お母さんは、その質問に「凄いわよ!『あなたの子どもは非常に天才です。この子を教えるには、この学校の先生では力不足です。他の学校に転校してください。』ですって!」
これ以降、エジソン少年は通っていた小学校を辞め、お母さんと2人で勉強を始めました。
その後、お母さんと一緒にたくさんの「なぜ?」にと向き合い、勉強や実験に励んだエジソン少年は、いつの間にか「発明王」と呼ばれる存在になっていきます。
3 エジソンの母
時は流れ、エジソン少年も大人になり、エジソンと一緒に勉強をしてきたお母さんも亡くなってしまいます。
そんなある日、お母さんの遺品を整理していたエジソンは、遺品の中から1通の手紙を見つけます。
それは、小学校の先生からお母さんに渡してほしいと言われたあの手紙でした。
ある意味で、エジソンの発明王への道のスタートとなったあの「天才」の手紙です。
エジソンは懐かしくなり、その手紙を読み始めます。
そこには、こう書いてありました。
「あなたの子どもは精神的に異常者で、この学校にはおけません。よい精神病院に入れてください。」
4 エジソンが天才になった瞬間
エジソンはいつ天才になったのでしょうか。
電球を発明した時?
99%の努力をしたとき?
恐らく、答えはNOです。
僕は、「凄いわよ!『あなたの子どもは非常に天才です。この子を教えるには、この学校の先生では能力不足です。他の学校に転校してください。』ですって!」と言われた瞬間にエジソンは天才になったのだろうと思います。
あの瞬間に、お母さんがエジソンを天才にする魔法(=言葉)をかけたんですね。
5 エジソンが天才であり続けられた理由
エジソンは後年、こう語っています。
「何があっても支えてくれた母がいたから、いまの私がある。母だけは何があっても、あるがままの私を理解してくれた。どんなに苦しいときでも、母を喜ばせたくて私は努力を続けることができた。すべて母のおかげだ。」
お母さんの言葉で天才になったエジソンは、お母さんからの信頼のお陰で天才であり続けられたのです。
天才発掘コーチの原点
天才発掘コーチとして、エジソンのお母さんの在り方、やり方をとても敬服しています。
クライアントを誰よりも信じ、理解するための労をいとわず、あるがままを受け入れて、その才能を一緒に発掘し、磨いていく。
誰よりも、クランアントの才能を信じ、見つめる。
僕のコーチングの原点です。
お知らせ
僕のコーチングの師匠であり、国際コーチ連盟(ICF)認定マスターコーチ(MCC)の稲垣陽子さんから、コーチとして紹介していただきました。
僕と同門の信頼できるコーチの皆さんも紹介されていますので、是非ご覧ください。